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ゆるゆりの櫻子からみるオタク向け萌え作品の価値

ゆるゆりの大室櫻子ちゃんに狂う

2014年から放送中のアニメを観る事が少なくなってきたが、去年の冬はゆるゆりの3期を観た。
ゆるゆりは原作の形式が4コマでないこともあり、1期のBD全巻と原作大室家1,2巻しか持っていないヌルいファンだけれども、櫻子だけが異様に好きでキャラソンも集めた。3期のオンエアによってゆるゆり熱ではなく、櫻子熱が再燃してしまった。櫻子は以前からピンポイントで好きで、アニメ版で櫻子が出るシーンは何度も観返すし、大室家がスピンオフした時は涙を流し神に感謝した。
櫻子が登場するたびに映画「ジャーヘッド」で自分が捕まえたサソリを戦わせているときのキャラや、選んだ馬が先頭に出てきたときの競馬場のオッサンのようにテンションがブチ上がる。

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櫻子の溢れる個性

ぼくはキャラへ感情移入したり共感することを、フィクションを楽しむ上で重要項目として捉えておらず、大半の作品とキャラに対し傍観者の立ち位置を決め込んでいる。それでも、現実の自分との関連性を読み込んで、共感したり一体化してしまうキャラがときどき登場する。完全にゆるゆりの櫻子は今回のそれだ。

粗暴

ゆるゆりのアニメ版2期は、あかりいじめが端的に挙げられるよう、一貫してキャラの性格を誇張して表現していた。櫻子の悪質さや粗暴さも例外なく際立っており、これは良くも悪くも櫻子の認知度を高めたと評価している。

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例1
怒りに任せものを壊したり暴れて顔に椅子をぶつける様子、粗暴さを表すために設けたことが自明なアニメ2期3話のシーン。 なかでも、後半の泣きギレシーンはイモーティブとしか言いようが無く顔芸がすごい。魂が揺さぶられた!

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例2
あかりを陥れ大笑いするアニメ2期5話。ナイーブな人が観たら一瞬で拒絶反応を示すような問題あるクズシーン。このキャラの無自覚な悪質さや気まぐれさ、享楽的な人柄が表れている。

上記の2例をはじめ、アニメ版2期では櫻子の粗暴さが繰り返し描かれる。しかも例1については、一般にキャラや作品の世界観の説明に利用される事が少なくない3話までのなかでの表現だ。原作との乖離がどの程度か考えることは今回は保留するが、少なくともアニメスタッフによる櫻子の人柄についての理解が端的に示されていると言える。

自己評価が高い

能力の低い人ほど自己評価が高いといった科学的根拠が怪しい言説をよく目にするが、櫻子は「残念」設定との連想からか、原作、アニメ版区別なく自分の行いに無根拠な自信を持っている描写が目立つ。またそのため周囲からの賞賛を露骨に求める。「櫻子様」「ドヤァ」など(たくさんありますので自明ということで) f:id:dokidokivisualism:20160124174659j:plain

妹に感謝され、それが当然だと言いたげにしたり顔になる様子

頭が悪い?

櫻子が頭の悪いキャラとして描かれているのは、誰もが否定しないはずの事実だが、本当にそれだけのネタ要員だろうか。ここではまず京子との比較を行いたい。
原作、アニメともに櫻子は先輩である京子との共通点が度々描かれてきた。基本的な要点はこうだ:

  • アホキャラ
  • 元気
  • ムードメーカー、ときにトラブルメーカー
  • A&Wルートビア(マゾサイダー)が飲める

そして、櫻子は本当に頭が悪いのに対し、実は京子は要領がよく勉強が得意であるとファンからはひろく認識されている。確かに櫻子は勉強が苦手な原作の設定のため、優秀ではないことは作品内での事実でぼくも否定しない。
現実世界でも「頭が悪い」という評価は、その評価を行う人間が、対象者の他者性を十分に担保するとができないときになされるレッテル張りである場合が少なくない。例えば、短期記憶がほとんど出来ない人間は、暗算やまる覚えが必要とされる業種で働いていたら絶対に頭が悪いと認定される。

3期で櫻子が京子とゲームセンターに行くエピーソードがある。そこでは京子の助力ありつつ、クレーンゲームのコツをすぐに習得する様子が描かれた。後に京子自身が櫻子の飲み込みの速さを口にしている。また、映画なちゅやちゅみの後日譚エピソードでは、向日葵に教わりカレーを作った。大室家2巻でも風邪の妹の為に卵粥を作っている。
一般に、料理は手順や並列作業が重要な、判断力と経験がものを言う作業である。これらのエピソードは、一定の分野では、手助けがあれば要領の良さや飲み込みの速さをこのキャラも発揮できることを示したと読み取れる。これらの表現だけでも、必ずしも櫻子の知的能力が他のキャラより劣るとは断定できなくなる。

一人でも楽しそう

櫻子は自分が面白くなるために行動する個人主義的な傾向が強い。周囲の気を引いたり、雰囲気を良くする為にいわゆるピエロ的な笑いを得ようとする京子とかなり対照的だ。
例えば、前述のベンチに座ったあかりのシーンもそうだし、2期3話の冒頭で向日葵を馬鹿にする替え歌を歌ったあと「ちょっと楽しくなってきた」と言い放つ。大室家2巻では妹の友達"みさきち"を公園にいる犬だと勘違いして想像して楽しんだり、一人で見に行ったりしている。動機が他者か自分自身かの違いは、二人を比べる上で大きい。 f:id:dokidokivisualism:20160124173513j:plain

みさきちを勝手に犬だと思い込んで妄想する櫻子

総評

櫻子がかなり社会的に許容されづらい人物像として描かれていることがわかる。素行が悪く、勉強が苦手で尊大にふるまうとなると、ほとんどの人の目には問題のある人物であると映るし、当然敬遠するだろう。社会的に欠点とみなされてしまう要素(以下、「欠点」と書く)が多すぎる。
個人の自由や利益をあけすけに主張したり、自分の楽しみを優先する傾向は日本では"自己中"、"空気が読めない"と排斥されることが少なくない。実際に櫻子の評価はまとめブログ文化圏で"クズ"としてよく取り上げられてきた(櫻子で"クズ"とサジェストされるし各自調べてね)。

としのーきょーこは空気を読んだうえで空気読まない行動するけど
この子そもそも空気読めてないよね

例えば上記は"櫻子 クズ"で検索してヒットした掲示板からの転載である。
このような、「空気」や「場の雰囲気」などを重視するいわゆる村社会的な規範を内面化した人間にとっては、真っ先に排除すべき部類の人物像かも知れない。また、自己評価が高い人間は、往々にして自分に自信がなかったり卑屈な人物からは疎ましい存在とされる。

オタク向けキャラ萌え作品の価値のひとつとしての自己肯定

ぼくは社会人なので、社会生活の大部分では露骨に相手を罵倒したり怒りのままに乱暴に振る舞うことはできない。仕事の出来に自信があっても威張ったりしないように当然している。
しかし、それらは全て社会適応のために学習した振る舞いだ。そう振舞わざるを得ないから振舞っているだけで、内心とは一致させたくないし、していない。人間の本質的な部分をあるがままの自分などと呼ぶが、これまでにふれた櫻子の悪い部分の特徴をぼくはすべて持ち合わせている。

ふだん社会から抑圧された自分の直らない部分や、欠点とされるような性格の傾向をこのキャラに重ねているから、櫻子の一挙一動が心に響くし目につくのだと思っている。

オタク向け萌え漫画やそのアニメ化された作品を消費するオタクであるぼくにとって、それらの作品のキャラはかわいいと感じる造形や動きやCVであり、読んだり観ていてとても良い気分になれる娯楽コンテンツだ。かわいいと感じるキャラが、自分の欠点や抑えつけた性格をかわいく書き換えて表現し、彼らがその世界で許容され肯定さている状態は、ぼくを強く勇気づける。
自分のこの部分は社会的に認められないから控えているだけで、本来それ自体が他人に否定される筋合いなど無いんだ、と自分自身に思わせることができる。

例えば、周囲より相対的に精神が未熟で内向的なキャラは根強い人気がある。
これには単なる弱者萌え(オタク独自仕様のパターナリズム)や共感による仲間意識だけではないように見える。単なる仲間意識だけではなく、自分と共通の欠点があるように感じられるキャラが、作品世界内でかわいく魅力的に振る舞い、周りが彼を受け入れる様子を見ることで、自己の内面を肯定したいのではないだろうか。

ひとの劣る部分や失敗を面白おかしく表現することは、大半のお笑い要素における源泉である(お笑い芸人のみなさんがポリティカリーインコレクトと差別のエンタメを提供している事実を想像してほしい)ことは当然とし、オタク向け萌え漫画のなかには、そのような人の不幸を笑う以上に意味のある表現が時々出てくる。
オタクカルチャーは構造から表現内容まで問題を感じる部分が目に余る現状で、全てを肯定したり擁護することはぼくにはとても出来ないが、この機能一点だけでもキャラ萌え作品の価値があると思うし、この価値から効用を得るために今後も消費し続ける予定だ。